CD「Loversion II ~ さよならショパン〜」
池田卓夫のCDレビュー「Loversion II〜さよならショパン」
もう一歩、前に進んだLoversion II
〜和田七奈江の懐へ飛び込む〜
Witten by 音楽ジャーナリスト 池田卓夫(いけだ・たくお)
もう30年近く記者をしているが、初対面の相手と「話の土台」、インターフェイスをしつらえるのには骨が折れる。企業経営者なら人柄はどうだろうと利益が出たか出なかったか、株価が上がったか下がったか、景気がいいか悪いかなどを手当たり次第に論じるうち、何となく、土台が固まる。刑事事件では、罪状という完ぺきな話の前提がある。だが目の前に現れたのがアーティスト、しかも魅力的な女性だったりすると、ちょっとした軽口もすぐ、セクシュアル・ハラスメント(性的嫌がらせ)と誤解されかねない今日このごろ、何をどう話したらコミュニケーションの接点を得られるのか、思い悩む瞬間が増えている。
コンポーザー・ピアニスト、和田七奈江さんとの出会い自体は楽だった。ある音楽事務所のオーディションで審査員として演奏を聴き、いくつかのコメントや質問を述べ、七奈江さんの答えを聞いただけ。演奏も含め、時間にして15分に満たなかったように思う。後日、最初のCD「Loversion」のテスト盤が送られてきて、解説書に収めるエッセーの執筆を頼まれた際も、ごく普通に「お仕事」として対応できた。ところが、CDの発売を記念したコンサートを開く段になって司会を引き受けた瞬間に、ハッとした。「僕はまだ、七奈江さんの人となりを全然、よく知らない」。後援会の皆さんの御厚意で、お見合いのようなディナーがセットされ、七奈江さんと何時間かを過ごすうち(正直に告白しましょう)、ますます困ってしまった。しっかり決然と書かれたオリジナル曲の個性、あるいは楽器を芯から鳴らす技の確かさとは裏腹に、素顔はシャイで、チャーミングな表情を見せた途端、腕の間からスルリと逃げていくセレブな猫(シャム系かしら?)の趣がある。ツカミドコロがない!!!コンサート本番もそれぞれ勝手に、自分の話題を投げ合って終わった気がする。
お世辞にも上手と言えない結果にもかかわらず、その後も時々、七奈江さんの音楽が心に引っ掛かり、CDを聴き返したり、メールをやりとりしたり、クリスマス・コンサートで懲りもせず共演したり……と付き合いを重ねた。当事者2人も、後援会の皆さんもワインが好きで、打ち上げの飲み会も繰り返すうち、セレブな猫の扱いにも慣れたのか(失礼!)、僕は外柔内剛の七奈江ワールドへ自然に近づく暗証番号を手に入れたようだ。株式会社「第一興商」が運営するCS放送「スカパー!TV」のヒーリング(癒し)専門チャンネル、「安らぎの音楽と風景/エコミュージックTV」と七奈江さんのコラボレーションが始まるのと前後して、2つのオリジナル曲「さよならショパン」「11月の木漏れ日」を課題にした小さなピアノ・コンクールが2010年8月に東京で開かれた。日曜日の朝から夕方まで七奈江さんの隣に座り、譜面を追いながら審査を続けてわかったのは、耳には感性豊かな即興と響く作品の数々が、実際には、周到に設計された作曲(コンポジション)であることだ。
たとえば、セカンド・アルバムの副題にもなった「さよならショパン」。2010年が生誕200年に当たるピアノ音楽の大作曲家フレデリク・ショパン(1810-49)の「ノクターン(夜想曲)」や「幻想即興曲」などの名曲を巧みにちりばめながら、七奈江さんの内面を切々と語るような場面もあり、全体では見事に独自の世界を構築している。今回のアルバムには続編と言える「涙のショパン」のほか、ショパンの「24の前奏曲」から第15番「雨だれ」も収められ、本家とトランスクリプション(編曲)は対立するどころか互いに刺激を与えながら、ひとつの巨(おお)きな世界を構築している。「11月の木漏れ日」も先のコンクールを通じ、弾き手の違いによってベートーヴェンのソナタ顔負けのコンポジションに響いたり、ジャズの即興にも堪えたりする幅広さを備えた作品であることを立証した。ここでの七奈江さんは作曲家らしく、あらゆる解釈の中間に位置する素直さで弾ききっている。
ファースト・アルバムが歳時記よろしく、四季折々の女性の思いを音楽に託していたのに対し、セカンド・アルバムは季節や時間の枠組みを取り去り、より自然なたたずまいの中、多彩な表情を発揮する。七奈江さん自身も指摘するように、静かに終わる曲だけでなく、力強く終わる新作も加えた。ピアノの音の響きそれ自体、演奏技巧の洗練、録音のクオリティのすべてがヴァージョン・アップしており、和田七奈江というコンポーザー・ピアニストが発する音楽のメッセージ、イメージが一段と曇りなく伝わる。2点のアルバムを発売順に聴き通してみたとき、人は七奈江さんにもっと近づき、その懐の中へ誘い込まれるような錯覚に陥るだろう。20世紀後半のシリアスな作曲界では、共通のテーマの下に作品を書き続け、発展させていく「ワーク・イン・プログレス」という手法が一世を風靡した。あえて、いくつかの作品を重複させた「Loversion」から「Loversion Ⅱ」への飛躍は、まさに、七奈江さんのワーク・イン・プログレス。作曲家としても、至極まっとうな歩みだ。