美しき音楽の世界ガラコンサート2015
音楽ジャーナリスト 池田卓夫編
夏の夜の優雅な楽の宴
コンポーザー&ピアニスト、和田七奈江が主宰する「ラヴァージョン」の企画で年1回、夏の夜に東京文化会館小ホールで開かれるガラ・コンサート。数ヶ月に1度のオーディションで選ばれた多彩なジャンルの演奏家が妙技を競う。
今年は望月彩恵(ピアノ伴奏・石坂幸治)、阿部朋子(同・濱崎洋子)、高江洲里枝(同・冨田優)のソプラノ3人、メゾソプラノの和田綾子(同・佐藤望央)、ピアノの野村祥子、ピアノ&アレンジの濱崎洋子、コントラバスの松江佐知子(同・梅村百合)が参加。もちろん和田も前半と後半の最後に自作曲を弾いた。
異彩を放ったのは前後半それぞれの中ごろに演奏した野村のソロ。前半が松村禎三、柿沼唯という師弟関係の2人の作品、後半がドイツのH・オッテの「響きの書」第10パートと同時代の音楽、しかもミニマル的な反復に支配された静かな楽想のものばかりをひたすら手がけ、強い印象を残した。
シリーズ初のコントラバス独奏、松江は明るく大らかな音楽性を備える。「コントラバスのパガニーニ」と言われたイタリアのボッテジーニの協奏曲、アルゼンチンが生んだ鬼才ピアソラの「アヴェ・マリア」を魅力たっぷりに弾いた。
濱崎は昨年と同じヴァイオリンの粟津惇、田島華乃、ヴィオラの平野幸世、チェロの関口将史の弦楽四重奏を従え、自作2つとショパンの「バラード第2番」をこの編成に自身で編曲したものの計3曲を演奏し、華やかな雰囲気を盛り上げた。弦との対話が昨年より練り上げられ、エンターテインメントとしての質を高めていたのは、大いに評価できる。粟津が旧知の松江のリハーサルにも立ち会い、演奏位置や音のバランスについて的確な助言をしたのも素敵だった。
歌の人たちが取り上げた日本の作曲家は山田耕筰、高田三郎、高田信一、中田喜直、團伊久磨の5人。それぞれの代表作が選ばれていたので、一夜を通して振り返ると、ちょっとした日本作曲史のおさらいのような効果もあった。ただモーツァルトやロッシーニなどでは考慮するのが当たり前の作曲当時の歌い方や言葉の発音が日本歌曲だとおしなべて西洋ベルカント発声、現代風に変化した日本語の発音で、いとも簡単に歌い飛ばされてしまう傾向には一考を要する。
常連格の阿部は後半、和服風のドレスでプッチーニのオペラ「蝶々夫人」の大詰め、自刃する場面で歌う「かわいい坊や」に挑み、陰ナレーション(私が読ませていただいた)まで用意する入れ込みよう。歌にも説得力があった。
望月は前半に日本歌曲、後半にトスティの英語歌曲と歌い分けた。高田三郎の「くちなし」が特に良かった。まっすぐな声で量感、スケールにも不足はない半面、旋律を大きく歌い過ぎる場面で歌詞のニュアンスが犠牲になるのは今後、改善すべき課題だろう。
高江洲は沖縄出身のエキゾチックな容姿とミラノで研鑽を積む成果が良いバランスで調和し、なかなか魅力的な歌手である。トスティのイタリア語歌曲「夜明けは光から暗闇を分かち」、プッチーニのオペラ「ラ・ボエーム」の「私が街を歩くとき」(ムゼッタのワルツ)から放たれるイタリアの輝きは見事だった。
昨年に続いて出演の和田はメゾといってもソプラノ寄りの明るい音色なので、ドスのきいたものより軽妙、あるいはしっとり落ち着いた作品に適している。中でも大正時代、浅草オペラで榎本健一(エノケン)が「ブン大将」の題名で上演して日本に広めたオッフェンバックのオペレッタ、「ジェロスタン大公妃殿下」の妃殿下のアリア「私は兵隊さんが好き」で発揮した演技力、品よい色香に舞台人としての資質を垣間見せた。
和田の最後のソロまで3時間あまり。長く、楽しい音楽の饗宴が続いた。
(池田卓夫=音楽ジャーナリスト)